トップ > 観光・イベント情報 > 歴史・文化財 > 宮内・甲佐校区 時代を映す、史跡巡りコース。

宮内・甲佐校区 時代を映す、史跡巡りコース。

前半は、甲佐神社を起点にした緑川の沿いの名所・旧跡。
後半は、東側の山に沿って、 館跡や慰霊碑などをたどります。
時代を映す、史跡巡りコースです。

甲佐神社

 緑川が急峻な山間を抜け平野が広がりを見せ始める右岸の丘陵地に荘厳な雰囲気のなかに立っている。中央公民館より県道甲佐・三本松線に沿って2.5kmの位置にある。背後には甲佐岳の雄姿が見守る。
 この神社は阿蘇社の二の宮と呼ばれ、健軍社、郡浦社とともに阿蘇四社とよばれ、12世紀には阿蘇本社領の末社領となる。阿蘇の神・甲佐明神を祭る。霊験殊勝の社壇とされている。
 竹崎季長が「蒙古襲来絵詞」を奉納したことは有名である。

所在地 甲佐町上揚

鵜ノ瀬堰

 県道甲佐・三本松線、中央公民館より1.5kmの位置にある。
 加藤清正公の緑川治水工事の一つで、この堰で得られた潅漑用水は甲佐、竜野、白旗、豊秋の663haの水田を潤す。(細の堰を含む)
慶長13年(1608)に完成している。大変な難工事で堰の位置を鵜の鳥が教えたという伝説がある。
 この堰で分水した水路(大井手川)に梁が築かれている。

所在地 甲佐町上豊内

緑川製糸場跡碑・長野簡悟の歌碑

 梁の一角に記念碑が立っている。
 明治8年、長野濬平の主唱により嘉悦氏房を中心に士族の子女を集めて操業された。製糸工場は富岡製糸工場に次ぐ全国で二番目の工場であった。当時、熊本県は桑の栽培を盛んに勧めていた。しかし、西南戦争や生糸の暴落などでつぶれた。
 この子女のなかから教育界や社会運動に活動する人材が輩出した。
 近くに、野口雨情歌碑もある。

所在地 甲佐町上豊内

陣の内館跡

 国道の東に切り立った山がある。免の山と呼んでいる。標高100m程の丘陵台地で平地よりの比高60mの高さにある。麓の部落より細い農道が通っている。
 肥後国誌に、阿蘇大宮司惟時の館跡と記されている。館は土塁に囲まれて直角に曲がった空堀が幅15m、東西に200m、南北に100m延びている。

所在地 甲佐町下豊内

軍人墓地

 免の山の北端を切り取って造成された。第二次世界大戦にいたる、戦没者の霊を祭る。 甲佐忠魂碑 。

所在地 甲佐町下豊内

岩鼻神社

 甲佐高等学校の東に長楽山がある。その一角岩鼻に建立されている。  加藤清正公を祭る神社。清正公の緑川治水工事により、それまで大雨の度に氾濫原となっていた平野が豊かな農耕地に変わった。清正公の偉業を後世に伝えようと建立された。寛永元年(1624)のことである。町民はこの山のことを清正山(せいしょこさん)と親しみを込めてよんでいる。

所在地 甲佐町横田

西住戦車長像

 甲佐町役場より北西方向約500m程の所にある。  日華事変で中国大陸を転戦中、クリークに遭遇して、渡河地点偵察中凶弾を受け死亡される。その行為が軍人の鑑と称えられた。当時は映画も製作されている。昭和13年5月のことである。

所在地 甲佐町仁田子


このページに関するお問合せ先
作成日: 2012-01-26

社会教育課 社会教育係 : 電話 096-234-2447社会教育課 町史編さん室 : 電話 096-234-3310